移住体験日記12/27-1/3【令和元年12月31日】
更新
2019年12月-2020年1月_千葉から
【令和元年12月31日(火)】
天気:雨のち晴 5日目 最低気温:-8.3度、最高気温:+5.0度
日の出:6時57分 日の入:15時57分 日照時間:9時間00分
今朝は9時15分にゆっくりと起床する。役場の方にいただいた移住に関する冊子を読んだり、陸別町の案内図に目を通す。
11時になり、今日も秦食堂に一番乗り。これまではかしわ蕎麦とカレー蕎麦が定番だったので、今回はとろろ蕎麦と親子蕎麦に挑戦する。親子蕎麦の鶏肉はかしわ蕎麦のそれとは異なるものを想像していましたが、同じ肉のようであり安心した。
陸別の年末にしては珍しく、昨夜から雪ではなく雨が降っている。今日は路面が心配なので、遠くへ行くことはやめて、比較的近い置戸町の勝山温泉に向かう。陸別からは約40キロメートル、約40分の道のりだ。国道242号線を北へ向かって走り始める。
川上を過ぎ、日宗を越えたあたりから、路面がガリガリのシャーベットに変化していく。小利別の手前で訓子府方面に入り、小利別本通の直線路を進む。ここの道の風情は、初めて小利別を訪れた17年ほど前からの私のお気に入りだ。
道はやがて銀河線の日留間踏切跡を渡り、国道に戻る。この踏切の側に住んでいた方は比留間さんであったようだが、踏切名が日留間であるのはいつからか間違ってしまったのか。
池北峠を越えると、路面のシャーベットはこれまでよりも更にガリガリになるので、注意して走行していく。峠から見て十勝側の空は青空になってきたが、北見側の空はどんよりとした雲が覆っている。常呂川の谷へ降り、拓殖橋の手前を左折して勝山方面に入る。この道は3日前にも通ったが、その時よりも更に雪が少なくなっている。
勝山温泉「ゆうゆ」は約15年振りの訪問だ。改装されているとのことで、外装も内装も綺麗になっている。この辺りにもようやく太陽の日差しが照らし始め、露天風呂と寝転び湯が非常に心地よく感じられる。
陸別町に温泉を湧出させることはできないだろうか。そんな想像が頭を巡る。陸別町内の中心市街地付近もいいけれど、もし小利別に温泉があったら、その昔、たくさんの人が小利別で暮らしていた頃のような活気が取り戻せるのではないだろうか。そんな光景を自分の目で見てみたいという思いがよぎる。
「ゆうゆ」を後にして、以前から気になっていた常呂川上流の常元の集落まで少し走ってみる。私が初めて陸別町を訪れた頃は、常元に「鹿の子温泉」という施設があったはず。最近はその名称を目にしていなかったが、今はどのようになっているのだろうか。
先ほどまでは日差しがあったのに、1キロメートルほど走るとあたりは暗くなり、雪が舞い始めた。この先の石北峠からの強風で、粉雪が吹き飛ばされて舞っているように思われる。
この辺りに開拓団が入植した頃は、常呂川の下流から順番に開拓を進めていったのではないかと思われるが、少し場所が違うだけで日射量は大きく異なり、収穫量にも大きな違いがあったのではないだろうか。後から入植した人々は、どのような思いで先に入植した人の土地を目にしていたのだろうか。
進むにつれ雪は更に強さを増してきた。たどり着いた常元の集落には、人の気配はほとんど残っていなかった。温泉橋の向こう側にある、カーナビに温泉のマークが表示されているところに目を凝らすが、温泉施設は何も残ってはいないようだ。
後で調べて見ると、鹿の子温泉は2012年ごろに閉業し、やはり、建物は既に取り壊されているようだ。山の北側斜面の下側に位置するこの温泉は、源泉温度は42度ほどだったようだが、よく温まる温泉だったとのこと。想像するに、日当たりはあまりよい環境ではなかったと思われ、建物の維持管理は大変なことであったと思う。今もきっと温泉は湧出しているのだろうが、利用されていないことが残念だ。
常元を後にして、勝山を過ぎて安住を走る頃には雪はすっかり止んでいた。ついさっきまで現実だった常元の風景が、今は幻のように思えてくる。
天気:雨のち晴 5日目 最低気温:-8.3度、最高気温:+5.0度
日の出:6時57分 日の入:15時57分 日照時間:9時間00分
今朝は9時15分にゆっくりと起床する。役場の方にいただいた移住に関する冊子を読んだり、陸別町の案内図に目を通す。
11時になり、今日も秦食堂に一番乗り。これまではかしわ蕎麦とカレー蕎麦が定番だったので、今回はとろろ蕎麦と親子蕎麦に挑戦する。親子蕎麦の鶏肉はかしわ蕎麦のそれとは異なるものを想像していましたが、同じ肉のようであり安心した。
陸別の年末にしては珍しく、昨夜から雪ではなく雨が降っている。今日は路面が心配なので、遠くへ行くことはやめて、比較的近い置戸町の勝山温泉に向かう。陸別からは約40キロメートル、約40分の道のりだ。国道242号線を北へ向かって走り始める。
川上を過ぎ、日宗を越えたあたりから、路面がガリガリのシャーベットに変化していく。小利別の手前で訓子府方面に入り、小利別本通の直線路を進む。ここの道の風情は、初めて小利別を訪れた17年ほど前からの私のお気に入りだ。
道はやがて銀河線の日留間踏切跡を渡り、国道に戻る。この踏切の側に住んでいた方は比留間さんであったようだが、踏切名が日留間であるのはいつからか間違ってしまったのか。
池北峠を越えると、路面のシャーベットはこれまでよりも更にガリガリになるので、注意して走行していく。峠から見て十勝側の空は青空になってきたが、北見側の空はどんよりとした雲が覆っている。常呂川の谷へ降り、拓殖橋の手前を左折して勝山方面に入る。この道は3日前にも通ったが、その時よりも更に雪が少なくなっている。
勝山温泉「ゆうゆ」は約15年振りの訪問だ。改装されているとのことで、外装も内装も綺麗になっている。この辺りにもようやく太陽の日差しが照らし始め、露天風呂と寝転び湯が非常に心地よく感じられる。
陸別町に温泉を湧出させることはできないだろうか。そんな想像が頭を巡る。陸別町内の中心市街地付近もいいけれど、もし小利別に温泉があったら、その昔、たくさんの人が小利別で暮らしていた頃のような活気が取り戻せるのではないだろうか。そんな光景を自分の目で見てみたいという思いがよぎる。
「ゆうゆ」を後にして、以前から気になっていた常呂川上流の常元の集落まで少し走ってみる。私が初めて陸別町を訪れた頃は、常元に「鹿の子温泉」という施設があったはず。最近はその名称を目にしていなかったが、今はどのようになっているのだろうか。
先ほどまでは日差しがあったのに、1キロメートルほど走るとあたりは暗くなり、雪が舞い始めた。この先の石北峠からの強風で、粉雪が吹き飛ばされて舞っているように思われる。
この辺りに開拓団が入植した頃は、常呂川の下流から順番に開拓を進めていったのではないかと思われるが、少し場所が違うだけで日射量は大きく異なり、収穫量にも大きな違いがあったのではないだろうか。後から入植した人々は、どのような思いで先に入植した人の土地を目にしていたのだろうか。
進むにつれ雪は更に強さを増してきた。たどり着いた常元の集落には、人の気配はほとんど残っていなかった。温泉橋の向こう側にある、カーナビに温泉のマークが表示されているところに目を凝らすが、温泉施設は何も残ってはいないようだ。
後で調べて見ると、鹿の子温泉は2012年ごろに閉業し、やはり、建物は既に取り壊されているようだ。山の北側斜面の下側に位置するこの温泉は、源泉温度は42度ほどだったようだが、よく温まる温泉だったとのこと。想像するに、日当たりはあまりよい環境ではなかったと思われ、建物の維持管理は大変なことであったと思う。今もきっと温泉は湧出しているのだろうが、利用されていないことが残念だ。
常元を後にして、勝山を過ぎて安住を走る頃には雪はすっかり止んでいた。ついさっきまで現実だった常元の風景が、今は幻のように思えてくる。
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総務課 企画・財政室 電話番号:0156-27-2141内線:215・217FAX:0156-27-2797
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