移住体験日記 9/2-9/30
更新
2020年9月_千葉から
9/2(水)曇り 1日目
午前10時半に上士幌移住体験住宅を出た。陸別へ向かうと思うと胸がわくわくした。昼前に足寄の道の駅に着いた。ここで昼食をとった。道の駅の裏に「フクハラ」という大きなスーパーがあったので、今日明日用の食材を購入した。
約束の午後2時少し前に陸別町に着いた。赤タイルの立派な建物だ。移住担当のTさんとお会いした。会議室でオリエンテーションを行った。住宅賃貸契約書などの諸手続き、諸注意、連絡先など大変親切で丁寧な説明だった。その後、体験住宅に入室した。
9/3(木)曇りのち雨 2日目
陸別の体験住宅はとても広く使いやすい。昨夜はきれいな布団で気持ちよく就寝できた。
朝食後、荷物の整理をした。押入れなどの収納も多くて便利だ。全部の部屋と押入れに掃除機をかけ、雑巾がけをした。テレビや食卓テーブル、椅子などのレイアウトを使いやすいように替えた。食器棚や食器が新しく清潔でありがたい。キッチンも使いやすい。風呂場も広く、新しい。
家の回りには樹木が多く自然が豊かだ。このように素晴らしい環境で1カ月過ごせることに大変嬉しく感じた。
9/4(金)曇りのち雨 3日目
陸別の体験住宅は、パソコンの環境が整っていて有難い。また、テレビではBS放送が視聴でき楽しむことができる。
午後、妻と二人で町めぐりをした。小雨が降っていたが、傘をさし、歩いて回った。まずは道の駅「オーロラタウン93りくべつ」へ行ってみた。ふるさと銀河鉄道がある。実際に電車を運転できるのだ。一人の男性が運転席に座り、電車を動かしていたのでびっくりした。ここには、鉄道ファンの人が沢山訪れるだろうと思った。それからAコープへ寄った。割合大きな売場で、食材も沢山あった。お米を5kg購入した。その後図書館へ行き、手続きをして本を6冊借りた。
9/5(土)曇り 4日目
今日も町めぐりをした。最初に銀河の森コテージ村へ行ってみた。山の上に素晴らしいログハウスが10棟程建っていた。高台なので見はらしが抜群だ。土曜日なので3~4棟に利用者がいた。子供連れの客や若い人のグループが楽しそうにバーベキューの準備をしていた。
次に銀河の森天文台へ行ってみた。「陸別友好町民の会」に入会しているので、入館料は無料だった。残念ながらコロナ感染の影響でプラネタリウムは観ることができなかった。70インチモニターで、陸別用の生活や催し物を知ることができた。2回の大型望遠鏡を覗かせてもらった。曇っていたので星は見られなかった。
9/6(日)晴れ 5日目
今日は「わかばパークゴルフ場」へ行った。用具は自宅から持参している。北海道はどの町もパークゴルフ場が充実している。利用料も無料で有難い。私も妻も運動不足解消のため、なるべく利用するようにしている。わかばゴルフ場は、市民スキー場を活用しているので、広く、高低差のあるおもしろいホールだ。36Hの内、9ホールは閉鎖していた。
1組のご夫妻がプレーをしていたので、少しお喋りをした。度々ここでプレーをするそうだ。私と妻は楽しく2周のプレーをした。やはり打ち上げは慣れていないので難しい。打ちおろしはとても爽快だった。
9/7(月)曇りのち晴れ 6日目
知床半島方面に出かけた。朝、町内のセイコーマートで朝食のおにぎりを購入した。クルマの中で天気予報を見ると屈斜路湖は晴れだった。美幌峠に向かった。ここからの景色は雄大で素晴らしかった。斜里岳や和琴半島もきれいに見ることができた。ここの道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」で昼食をとった。
その後、網走駅周辺で食料を購入し、網走湖キャンプ場へ向かった。平日だったのでキャンパーは3~4組ぐらいしかいなかった。湖畔にテントを張った。ここで有名な夕陽を見ることができた。湖に映える真っ赤な夕陽は美しく、写真を何枚も撮った。夕食の時、蝿が多くて悩まされた。
9/8(火)晴れ 7日目
網走キャンプ場には昼まで滞在した。大阪から一人でバイク旅をしている男性とお喋りをした。この5~6年、毎年北海道に来ているとのこと。羨ましく感じた。
午後、知床ウトロへ向かった。小清水原生花園へ寄った。花は殆んど咲いていなかったが、10頭ほどの放牧馬を見ることができた。展望台に登ると、オホーツクの海、斜里岳、原生花園を同時に見ることができた。その後斜里の町へ出て「年輪」というレストランで夕食をとった。お洒落なお店だった。それからウトロへ行き、「夕陽台の湯」へ入った。露天風呂が気持ちよかった。道の駅「ウトロシリエトク」へもどり車中泊することにした。クルマの中は暑いので、外に出て港の近くで涼んだ。
9/9(水)晴れ 8日目
朝食は、国設知床野営場でとった。朝食後知床峠へ向かった。峠では羅臼岳の雲が晴れて、頂上までよく見ることができた。知床で最高峰の山だ。峠を下りる途中、「熊の湯」に入った。お湯は熱かったが、野趣溢れる素晴らしい露天風呂だった。その後知床自然センターを見学した。
道の駅「知床らうす」へ寄り、昼食でホッケ焼き定食を食べた。ホッケがもの凄く大きくてびっくりした。その後、厚岸を経由し、国泰寺、愛冠岬、琵琶瀬展望台を経由し、高速道路で体験住宅に戻った。
9/10(木)雨 9日目
午前に町の移住担当のTさんから電話があった。青函フェリーの割引券の件だった。9月30日に体験住宅を退去し、その日のホテルや翌日のホテルをどうするか、検討した。また、10月2日のフェリーの時刻表も検討した。
午後2時にTさんがやって来た。体験の様子や困ったことはないかなど、親切に尋ねてくれた。私たちは、今のところ何の不自由も感じず、体験住宅に対して大変満足している旨を伝えた。Tさんは陸別の町の様子や、周辺の町の様子、スーパーなど買い物のこと、カーラリーなどイベント、関寛斎資料館などについて詳しく教えてくれた。
9/11(金)曇り時々雨 10日目
妻と一緒に診療所、郵便局、図書館へ行った。体の具合が悪かったわけではなく、地元流山市の診療所で出してもらっている血圧降下薬が切れたので、処方してもらうためだ。医師に処方してもらい薬局へ行くと、現在その薬がないので、体験住宅へ届けてくれるということだった。実際に夕方、クルマで届けてくれた。地方の人は親切なことが身に染みた。ドコモカードの詐欺事件をテレビ報道で知って、ゆうちょ銀行の通帳を確認した。特に問題がなく安心した。
夕方、庭を見ると親子の鹿が草を食べていた。親鹿は前足を痛めているらしく、不自然な歩き方をしていた。愛らしい鹿を見て、さすが北海道だなと感じた。
9/12(土)曇り 11日目
今日は陸別小学校の運動会を見に行った。学校まで歩いていくと、派手なデザインのクルマが道路を疾走していた。「北海道ラリー」をやっているらしい。クルマのナンバーを見ると、多摩、名古屋、横浜など全国の地名だった。コロナ感染の影響で無観客らしいが、道路の数箇所で数人ずつ応援する人がいた。
小学校に着くと、競技が始まっていた。校舎も体育館も新しく立派だった。陸別の子どもたちの給食は無料らしい。町は教育に熱心なことが分かる。1年生は10人程だったが、5年生6年生は25人くらいいたので、全校100人くらいの在籍だろうか。子どもたちは障害物走やリズム体操を楽しそうにやっていた。保護者も沢山来校していて盛り上がっていた。
9/13(日)曇りのち晴れ 12日目
先日、Tさんに関寛斎資料館のことを聞いたので、今日訪れた。寛斎は陸別にとって大きな功績があったことを知った。
寛斎は千葉県東金市で生まれ、18歳の時佐倉順天堂に入門、医術の道に進んだ。東金で医者を開業し、長崎へ行きポンぺに最新医療技術を学んだ。徳島の御殿医となったが、戊辰戦争で敵味方なく負傷者の治療を行った。その後藩医学校の創立や山梨県病院長を経て徳島に平民としてもどった。医者としても立派だったが、72歳の時、北海道開拓の理想に燃え、斗満に移住した。私財を投げうって国のため、地域のため働いた。このように人間として尊敬できる寛斎について、地元に帰ってから学びたいと思った。
9/14(月)曇り 13日目
テレビ報道は、菅官房長官が自民党の総裁に決定したことと、テニスの大坂なおみ選手が全米オープンで優勝したことが報じられている。大坂選手は、アスリートとしてだけでなく、その人柄も立派なことが分かった。
妻は一人で足寄の「フクハラ」へ買い物に出かけた。その間、私は俳句づくりに没頭した。流山市の句会の〆切が迫っている。次の6句がようやくできた。
えぞ原野貫く道路秋天へ
平城京遠き栄華やちちろ鳴く
廃線やそらに蘇生の大銀河
漁火や濡れてちらちら霧の湧く
読経合す鵙の高音や朝まだき
句帳閉じ虫の音を聴く夜のしじま
9/15(火)曇りのち晴れ 14日目
今日は納沙布岬に出かけた。出発の時、陸別は雨だったが、カネラン峠を越える頃にはやんできた。オンネトーは曇り空の下で水の色も灰色だ。雌阿寒岳も霧で見えない。そこから釧路を経て根室に入る頃は晴れてきた。
青空の下クルマを走らせると、心が浮き浮きしてくる。花咲蟹の釜飯が目的のため150kmをひたすらクルマを走らせた。午後1時にようやく道の駅「スワン44ねむろ」へ着いた。遠くに白鳥を発見した。次に春国岱という所に行った。汽水湖の板道を歩いた。夕方、納沙布岬に着いた。すぐ近くに歯舞諸島が見える。北方領土返還がこの地域の人の悲願だということが分かった。
9/16(水)晴れ 15日目
道の駅「スワン44ねむろ」で車中泊させてもらった。そこから釧路湿原へ向かった。高速道路の入り口を間違ってしまい、往復してしまった。ようやく釧路市湿原展望台に着いた。板道を20分程歩き、展望が開けた。まるでアフリカのサバンナのような景色だ。板道を戻り、展望台のレストランで昼食をとった。
そこから細岡展望台へ向かった。素晴らしい景色だ。しかし10年前にもここへ来ているので感動が薄く、複雑な気分だった。その後、すぐ近くの達古武キャンプ場へ行った。10年前、ここで簡易バンガローを借りたので、とても懐かしかった。それから塘路の駅へ行った。この近くに友達がいるのだが、会わずにここを去った。サルボ展望台、コッタロ展望台の道は分からなかった。
9/17(木)曇り 16日目
昨夜帰りが遅くなり、陸別に着いたのが午後7時頃だった。スマホで調べると足寄町のラーメン店「宝龍」がまだやっていると分かり、そこで夕食にした。野菜ラーメンとギョウザが美味しかった。
午前中に、クルマの中から道具を取り出し、部屋の押入れに収納した。その後図書館へ行き、私と妻で6冊の本を借りた。町の人はいなかった。
夕方テレビで大相撲を観た。柏市出身の隆の勝を応援した。夜は、録画しておいたイタリア映画「道」を観た。移住住宅はNHKBSが視聴できる。自宅から持参したDVDレコーダーで今日の午後録画しておいたのだ。「道」は65年程前の作品で、アカデミー賞を受賞した名作だ。この場所で感動的な映画が見られて幸運だった。
9/18(金)雨のち曇り 17日目
朝から雨が降っている。陸別に移ってから、晴天の日が少ない。多分、日本全体、北海道全体も天気が悪いのだろう。関東はまだ猛暑なので、この地に住んでいて幸運なのであろう。
移住体験も残り少なくなってきたので、そろそろ帰りのことも考えることにした。余分な荷物を整理し段ボールへ詰め込み、ヤマト運輸に取りに来てもらうことにした。また、9月30日から10月4日までの宿泊地のホテルを予約するため調べた。幸いGOTOトラベルを利用できるようで、割安の料金で予約できた。
雨が小やみになったので、昼は「ぷらっと」へ行き、チャンポンを食べた。美味しかった。
9/19(土)晴れ 18日目
夕方、「ぷらっと」へ行ってチャンポンを食べた。2回目の来店だ。土曜日ということもあって、りくべつ鉄道を利用した人や町内の人などで賑わっていた。近所の人と店員さんがお喋りをしていた。チャンポンは美味しかった。
夜、再び銀河の森天文台を訪れた。
町民カレンダーに「外惑星と秋の天体観望会」とあったからだ。午後7時頃行くと沢山の人が集まっていた。2階の大型望遠鏡で木星や土星を見た。土星の輪がはっきりと見られて嬉しかった。外に出ると星が降るようだった。天の川がはっきり見えた。係の人にひこ星、織姫星、夏の大三角などを教えてもらった。7時半から惑星の講演があった。
9/20(日)晴れのち曇り 19日目
午後、関寛翁関係の場所めぐりをした。ちょっと迷ったが、斗満駅逓所跡地を見つけた。江戸時代の宿場のような所らしい。北海道開拓の理想に燃えた寛斎は、明治35年にここに住んだという。ここで農作物を作ったり、牛馬を飼育していたのだろう。72歳という高齢で極寒の地に渡ったことに驚かされた。農地跡と「やちだもの家」へ行ってみた。ここには寛斎に関する資料が沢山展示されていた。開拓地の陸別町の人だけでなく、出生地千葉県東金市の人々にも敬愛されていることが分かった。次に丘の上にある寛斎と奥さんの墓を詣でた。牧場の規模も拡大したにもかかわらず、理想と現実の距離が広がり、83歳で自死したという。陸別の人々が寛斎を誇りに思っていることがよく分かった。
9/21(月)曇り 20日目
今日は稚内方面へ出かけた。旭川紋別自動車道を走った。愛別で高速をおり、岩尾内湖に着いた。ここは無料で自動車進入可のキャンプ場がある。4連休のせいか、とても混雑していた。旭川ナンバーのクルマが多い。道外のナンバーも5~6台あった。湖には水上バイクの姿も見られる。釣りをしている人が多かった。私たちは駐車場の角に駐車して、テントは張らなかった。車中泊することにした。キャンプ場の周囲を散策した。夕方になると親子連れが楽しそうに食事をしている。最近はこれが流行しているようだ。私たちはガス代を利用してカレーの夕食をとり、早めにクルマの中に入った。
9/22(火)晴れ 21日目
今日は早めに起床し、稚内へ向かった。美深、名寄、音威子府を経由し、オロロンラインへ向かった。途中天塩川流域に松浦武四郎の碑があった。北加伊道、のちの北海道と命名したという碑だ。天塩川は大きな川だった。ここを武四郎が丸木舟でさかのぼったのかと知り感慨深かった。道の駅「てしお」でほっき貝カレーの昼食をとった。オロロンラインを北上すると利尻富士が見えてきた。風車が沢山立っている。直線道路が果てしなく続いている。やがてサロベツ原生花園ビジターセンターに着いた。湿原の板道を歩いてみた。花は殆どない。次にサロベツ展望台へ寄った。ここからの眺望は釧路湿原細岡展望台に匹敵する。やがて稚内に入り、森林公園キャンプ場に着いた。
9/23(火)晴れ 22日目
キャンプ場で昼食をとり、その後、公園の頂上まで歩いてみた。1km程歩くと頂上に着いた。ここからは稚内の町や港が見渡せた。それからクルマで稚内公園開基百年記念塔へ行った。塔に登ると、利尻島、樺太、宗谷丘陵などが眺望できる。樺太が近いのに驚かされた。下に降り北方記念館で、間宮林蔵や樺太で自殺して亡くなった9名の女性電話交換手の資料を見学した。その後、氷雪の門、防波堤ドームを見学した。道の駅にクルマを駐車させ、稚内の駅に行ってびっくりした。10年前に行った時の駅は様変わりし、近代的なビルの中にあったのだ。その後、宗谷岬へ行き、宗谷丘陵「白い道」を通り、浜頓別温泉「ウィング」に入った。
9/24(水)晴れ 23日目
クッチャロ湖キャンプ場で起床した。湖は美しく、広々していた。オートバイのキャンプ客が多い。湖畔のベンチで朝食にした。帰路はオホーツクの海岸線を走る。左手に見える海は、白波が立っている。北見神威岬公園に寄った。風が強い。波が岩に打ちつける。積丹半島にも劣らない美しい海だった。日高山脈の最北端だそうだ。アイヌの人が尊敬している小山の頂上が尖って見える。そこから南へ走っていくとウスタイベイ千畳岩に着いた。安山岩が畳敷きのように見える。岩に白波が砕けていた。さらに南へ進み、道の駅「マリーランド岡島」に着いた。フェリーの船の形をした建物だ。ここで土産にホワイトチョコとアラレを購入した。次に道の駅「オホーツク紋別」で昼食にした。
9/25(木)曇り 24日目
今日は洗濯をした。旅行中にたまった洗濯物が多い。物干竿に干せきれないぐらいだ。曇っていたので、夕方まで干したが乾かない。奥の部屋にストーブがあるので、竿をここまで運び乾かした。この部屋は広く、普段使わないので、こういう時とても便利だ。
午後町内のAコープで食料を買いに行った。足りない物はセイコーマートで賄った。二人暮らしなので、この2店で大体の物は間に合う。
帰りに図書館に寄った。借りる人の姿はほとんどない。蔵書はあまり多くない。隣の部屋で3~4人の子ども達が勉強をしていた。
9/26(金)雨 25日目
朝から雨が降っている。庭の楓も大分色づいてきた。大雪山の旭岳が初雪が降ったという報道があった。陸別はこれからどんどん寒くなるのだろうか。家に居る時はなるべく運動するようにしている。録画してあるテレビ体操を見ながら、ラジオ体操第一と第二、そして腕立て伏せ、腹筋、スクワットなどを各40回ずつそれからダンベルなどもやる。移住体験するには健康第一だ。
夕方はテレビで大相撲を観た。千葉県柏市出身の隆の勝が勝ち、8勝6敗となった。正代が朝の山に勝ち、おそらく優勝するだろう。夜「男はつらいよ」を観ていたら、奥尻島が場面として出た。ここには行ったことがないので、行きたくなった。
9/27(土)曇り 26日目
午前中寒かったのでストーブをつけた。居間のストーブは大きく強力なので、薄着でも大丈夫だ。用事があったので長男に電話を入れると、流山市の方も少し涼しくなってきたという話だった。
午後は妻と散歩をした。わかばパークゴルフ場まで歩いていくと、一組のご夫妻がプレーをしていた。二人ともライナーショットが上手だった。ティショットの時左足を前に置き、クラブは軽く振っていることが分かった。とても参考になった。ゴルフ場から道の駅へ行った。日曜日なのでりくべつ鉄道の運転体験をしている人がいた。その後、Aコープに寄ったら休みだったのでがっかりした。
9/28(日)晴れ 27日目
先日、関寛斎関係の場所めぐりをした後、図書館で司馬遼太郎の「街道をゆく 北海道の諸道」を借りた。明日には返却しなければならないので、一日読み続け、ようやく読み終えた。
司馬は函館を起点に札幌、旭川、陸別をめぐっている。古代から幕末維新までの長い道のりをたずね歩いている。特に72歳で斗満に渡り、原野を切り開いた関寛斎についての部分は感動的だった。それから劣悪な環境で労働を強いられた囚人や屯田兵、アイヌとの抗争の松前氏など、興味深く読んだ。まだ「胡蝶の夢」を読んでいないので、帰宅したら読もうと思った。
9/29(月)晴れ 28日目
昨日、今日と素晴らしい晴天となった。天気がいいとどこかに出かけたくなる。しかし、明日はもうりくべつを離れなければならない。大雪山の姿見の池に行く予定だったが、今回は残念ながら行けなかった。いつか紅葉の時期に行ってみたい。
午前中は荷物の整理をした。衣服、下着、キャンプ用品、バッテリーなどをクルマの荷台に積んだ。ついでにクルマを洗った。この体験ハウスは、外に水道がついているので有難い。おまけにホースまで揃っている。広い庭で洗車できてよかった。
午後は部屋の掃除をした。「立つ鳥跡を濁さず」押入の中、トイレ、風呂場、玄関など電気掃除機をかけ、水拭きをした。気持ちがすっきりした。
9/30(火)曇り 29日目
29日間の陸別の移住体験が終わり、今日帰宅の途につく。陸別町については、日本一寒い所という程度の認識しかなかったが、実際に生活してみていろいろなことが分かった。気候、文化、歴史の一端を知ることができた。人口は少ないが、住んでいる人達は「わが町」を愛しているように見えた。今年はコロナでできなかったが、いつもは色々な行事、催し物などを楽しんでいる。ゆったりとした生活に満足しているように見えた。貴重な29日間だった。
恩根内体験住宅は、広く清潔で使いやすく、快適に過ごすことができた。町役場の方、移住担当の方には大変お世話になり、感謝しております。どうもありがとうございました。
午前10時半に上士幌移住体験住宅を出た。陸別へ向かうと思うと胸がわくわくした。昼前に足寄の道の駅に着いた。ここで昼食をとった。道の駅の裏に「フクハラ」という大きなスーパーがあったので、今日明日用の食材を購入した。
約束の午後2時少し前に陸別町に着いた。赤タイルの立派な建物だ。移住担当のTさんとお会いした。会議室でオリエンテーションを行った。住宅賃貸契約書などの諸手続き、諸注意、連絡先など大変親切で丁寧な説明だった。その後、体験住宅に入室した。
9/3(木)曇りのち雨 2日目
陸別の体験住宅はとても広く使いやすい。昨夜はきれいな布団で気持ちよく就寝できた。
朝食後、荷物の整理をした。押入れなどの収納も多くて便利だ。全部の部屋と押入れに掃除機をかけ、雑巾がけをした。テレビや食卓テーブル、椅子などのレイアウトを使いやすいように替えた。食器棚や食器が新しく清潔でありがたい。キッチンも使いやすい。風呂場も広く、新しい。
家の回りには樹木が多く自然が豊かだ。このように素晴らしい環境で1カ月過ごせることに大変嬉しく感じた。
9/4(金)曇りのち雨 3日目
陸別の体験住宅は、パソコンの環境が整っていて有難い。また、テレビではBS放送が視聴でき楽しむことができる。
午後、妻と二人で町めぐりをした。小雨が降っていたが、傘をさし、歩いて回った。まずは道の駅「オーロラタウン93りくべつ」へ行ってみた。ふるさと銀河鉄道がある。実際に電車を運転できるのだ。一人の男性が運転席に座り、電車を動かしていたのでびっくりした。ここには、鉄道ファンの人が沢山訪れるだろうと思った。それからAコープへ寄った。割合大きな売場で、食材も沢山あった。お米を5kg購入した。その後図書館へ行き、手続きをして本を6冊借りた。
9/5(土)曇り 4日目
今日も町めぐりをした。最初に銀河の森コテージ村へ行ってみた。山の上に素晴らしいログハウスが10棟程建っていた。高台なので見はらしが抜群だ。土曜日なので3~4棟に利用者がいた。子供連れの客や若い人のグループが楽しそうにバーベキューの準備をしていた。
次に銀河の森天文台へ行ってみた。「陸別友好町民の会」に入会しているので、入館料は無料だった。残念ながらコロナ感染の影響でプラネタリウムは観ることができなかった。70インチモニターで、陸別用の生活や催し物を知ることができた。2回の大型望遠鏡を覗かせてもらった。曇っていたので星は見られなかった。
9/6(日)晴れ 5日目
今日は「わかばパークゴルフ場」へ行った。用具は自宅から持参している。北海道はどの町もパークゴルフ場が充実している。利用料も無料で有難い。私も妻も運動不足解消のため、なるべく利用するようにしている。わかばゴルフ場は、市民スキー場を活用しているので、広く、高低差のあるおもしろいホールだ。36Hの内、9ホールは閉鎖していた。
1組のご夫妻がプレーをしていたので、少しお喋りをした。度々ここでプレーをするそうだ。私と妻は楽しく2周のプレーをした。やはり打ち上げは慣れていないので難しい。打ちおろしはとても爽快だった。
9/7(月)曇りのち晴れ 6日目
知床半島方面に出かけた。朝、町内のセイコーマートで朝食のおにぎりを購入した。クルマの中で天気予報を見ると屈斜路湖は晴れだった。美幌峠に向かった。ここからの景色は雄大で素晴らしかった。斜里岳や和琴半島もきれいに見ることができた。ここの道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」で昼食をとった。
その後、網走駅周辺で食料を購入し、網走湖キャンプ場へ向かった。平日だったのでキャンパーは3~4組ぐらいしかいなかった。湖畔にテントを張った。ここで有名な夕陽を見ることができた。湖に映える真っ赤な夕陽は美しく、写真を何枚も撮った。夕食の時、蝿が多くて悩まされた。
9/8(火)晴れ 7日目
網走キャンプ場には昼まで滞在した。大阪から一人でバイク旅をしている男性とお喋りをした。この5~6年、毎年北海道に来ているとのこと。羨ましく感じた。
午後、知床ウトロへ向かった。小清水原生花園へ寄った。花は殆んど咲いていなかったが、10頭ほどの放牧馬を見ることができた。展望台に登ると、オホーツクの海、斜里岳、原生花園を同時に見ることができた。その後斜里の町へ出て「年輪」というレストランで夕食をとった。お洒落なお店だった。それからウトロへ行き、「夕陽台の湯」へ入った。露天風呂が気持ちよかった。道の駅「ウトロシリエトク」へもどり車中泊することにした。クルマの中は暑いので、外に出て港の近くで涼んだ。
9/9(水)晴れ 8日目
朝食は、国設知床野営場でとった。朝食後知床峠へ向かった。峠では羅臼岳の雲が晴れて、頂上までよく見ることができた。知床で最高峰の山だ。峠を下りる途中、「熊の湯」に入った。お湯は熱かったが、野趣溢れる素晴らしい露天風呂だった。その後知床自然センターを見学した。
道の駅「知床らうす」へ寄り、昼食でホッケ焼き定食を食べた。ホッケがもの凄く大きくてびっくりした。その後、厚岸を経由し、国泰寺、愛冠岬、琵琶瀬展望台を経由し、高速道路で体験住宅に戻った。
9/10(木)雨 9日目
午前に町の移住担当のTさんから電話があった。青函フェリーの割引券の件だった。9月30日に体験住宅を退去し、その日のホテルや翌日のホテルをどうするか、検討した。また、10月2日のフェリーの時刻表も検討した。
午後2時にTさんがやって来た。体験の様子や困ったことはないかなど、親切に尋ねてくれた。私たちは、今のところ何の不自由も感じず、体験住宅に対して大変満足している旨を伝えた。Tさんは陸別の町の様子や、周辺の町の様子、スーパーなど買い物のこと、カーラリーなどイベント、関寛斎資料館などについて詳しく教えてくれた。
9/11(金)曇り時々雨 10日目
妻と一緒に診療所、郵便局、図書館へ行った。体の具合が悪かったわけではなく、地元流山市の診療所で出してもらっている血圧降下薬が切れたので、処方してもらうためだ。医師に処方してもらい薬局へ行くと、現在その薬がないので、体験住宅へ届けてくれるということだった。実際に夕方、クルマで届けてくれた。地方の人は親切なことが身に染みた。ドコモカードの詐欺事件をテレビ報道で知って、ゆうちょ銀行の通帳を確認した。特に問題がなく安心した。
夕方、庭を見ると親子の鹿が草を食べていた。親鹿は前足を痛めているらしく、不自然な歩き方をしていた。愛らしい鹿を見て、さすが北海道だなと感じた。
9/12(土)曇り 11日目
今日は陸別小学校の運動会を見に行った。学校まで歩いていくと、派手なデザインのクルマが道路を疾走していた。「北海道ラリー」をやっているらしい。クルマのナンバーを見ると、多摩、名古屋、横浜など全国の地名だった。コロナ感染の影響で無観客らしいが、道路の数箇所で数人ずつ応援する人がいた。
小学校に着くと、競技が始まっていた。校舎も体育館も新しく立派だった。陸別の子どもたちの給食は無料らしい。町は教育に熱心なことが分かる。1年生は10人程だったが、5年生6年生は25人くらいいたので、全校100人くらいの在籍だろうか。子どもたちは障害物走やリズム体操を楽しそうにやっていた。保護者も沢山来校していて盛り上がっていた。
9/13(日)曇りのち晴れ 12日目
先日、Tさんに関寛斎資料館のことを聞いたので、今日訪れた。寛斎は陸別にとって大きな功績があったことを知った。
寛斎は千葉県東金市で生まれ、18歳の時佐倉順天堂に入門、医術の道に進んだ。東金で医者を開業し、長崎へ行きポンぺに最新医療技術を学んだ。徳島の御殿医となったが、戊辰戦争で敵味方なく負傷者の治療を行った。その後藩医学校の創立や山梨県病院長を経て徳島に平民としてもどった。医者としても立派だったが、72歳の時、北海道開拓の理想に燃え、斗満に移住した。私財を投げうって国のため、地域のため働いた。このように人間として尊敬できる寛斎について、地元に帰ってから学びたいと思った。
9/14(月)曇り 13日目
テレビ報道は、菅官房長官が自民党の総裁に決定したことと、テニスの大坂なおみ選手が全米オープンで優勝したことが報じられている。大坂選手は、アスリートとしてだけでなく、その人柄も立派なことが分かった。
妻は一人で足寄の「フクハラ」へ買い物に出かけた。その間、私は俳句づくりに没頭した。流山市の句会の〆切が迫っている。次の6句がようやくできた。
えぞ原野貫く道路秋天へ
平城京遠き栄華やちちろ鳴く
廃線やそらに蘇生の大銀河
漁火や濡れてちらちら霧の湧く
読経合す鵙の高音や朝まだき
句帳閉じ虫の音を聴く夜のしじま
9/15(火)曇りのち晴れ 14日目
今日は納沙布岬に出かけた。出発の時、陸別は雨だったが、カネラン峠を越える頃にはやんできた。オンネトーは曇り空の下で水の色も灰色だ。雌阿寒岳も霧で見えない。そこから釧路を経て根室に入る頃は晴れてきた。
青空の下クルマを走らせると、心が浮き浮きしてくる。花咲蟹の釜飯が目的のため150kmをひたすらクルマを走らせた。午後1時にようやく道の駅「スワン44ねむろ」へ着いた。遠くに白鳥を発見した。次に春国岱という所に行った。汽水湖の板道を歩いた。夕方、納沙布岬に着いた。すぐ近くに歯舞諸島が見える。北方領土返還がこの地域の人の悲願だということが分かった。
9/16(水)晴れ 15日目
道の駅「スワン44ねむろ」で車中泊させてもらった。そこから釧路湿原へ向かった。高速道路の入り口を間違ってしまい、往復してしまった。ようやく釧路市湿原展望台に着いた。板道を20分程歩き、展望が開けた。まるでアフリカのサバンナのような景色だ。板道を戻り、展望台のレストランで昼食をとった。
そこから細岡展望台へ向かった。素晴らしい景色だ。しかし10年前にもここへ来ているので感動が薄く、複雑な気分だった。その後、すぐ近くの達古武キャンプ場へ行った。10年前、ここで簡易バンガローを借りたので、とても懐かしかった。それから塘路の駅へ行った。この近くに友達がいるのだが、会わずにここを去った。サルボ展望台、コッタロ展望台の道は分からなかった。
9/17(木)曇り 16日目
昨夜帰りが遅くなり、陸別に着いたのが午後7時頃だった。スマホで調べると足寄町のラーメン店「宝龍」がまだやっていると分かり、そこで夕食にした。野菜ラーメンとギョウザが美味しかった。
午前中に、クルマの中から道具を取り出し、部屋の押入れに収納した。その後図書館へ行き、私と妻で6冊の本を借りた。町の人はいなかった。
夕方テレビで大相撲を観た。柏市出身の隆の勝を応援した。夜は、録画しておいたイタリア映画「道」を観た。移住住宅はNHKBSが視聴できる。自宅から持参したDVDレコーダーで今日の午後録画しておいたのだ。「道」は65年程前の作品で、アカデミー賞を受賞した名作だ。この場所で感動的な映画が見られて幸運だった。
9/18(金)雨のち曇り 17日目
朝から雨が降っている。陸別に移ってから、晴天の日が少ない。多分、日本全体、北海道全体も天気が悪いのだろう。関東はまだ猛暑なので、この地に住んでいて幸運なのであろう。
移住体験も残り少なくなってきたので、そろそろ帰りのことも考えることにした。余分な荷物を整理し段ボールへ詰め込み、ヤマト運輸に取りに来てもらうことにした。また、9月30日から10月4日までの宿泊地のホテルを予約するため調べた。幸いGOTOトラベルを利用できるようで、割安の料金で予約できた。
雨が小やみになったので、昼は「ぷらっと」へ行き、チャンポンを食べた。美味しかった。
9/19(土)晴れ 18日目
夕方、「ぷらっと」へ行ってチャンポンを食べた。2回目の来店だ。土曜日ということもあって、りくべつ鉄道を利用した人や町内の人などで賑わっていた。近所の人と店員さんがお喋りをしていた。チャンポンは美味しかった。
夜、再び銀河の森天文台を訪れた。
町民カレンダーに「外惑星と秋の天体観望会」とあったからだ。午後7時頃行くと沢山の人が集まっていた。2階の大型望遠鏡で木星や土星を見た。土星の輪がはっきりと見られて嬉しかった。外に出ると星が降るようだった。天の川がはっきり見えた。係の人にひこ星、織姫星、夏の大三角などを教えてもらった。7時半から惑星の講演があった。
9/20(日)晴れのち曇り 19日目
午後、関寛翁関係の場所めぐりをした。ちょっと迷ったが、斗満駅逓所跡地を見つけた。江戸時代の宿場のような所らしい。北海道開拓の理想に燃えた寛斎は、明治35年にここに住んだという。ここで農作物を作ったり、牛馬を飼育していたのだろう。72歳という高齢で極寒の地に渡ったことに驚かされた。農地跡と「やちだもの家」へ行ってみた。ここには寛斎に関する資料が沢山展示されていた。開拓地の陸別町の人だけでなく、出生地千葉県東金市の人々にも敬愛されていることが分かった。次に丘の上にある寛斎と奥さんの墓を詣でた。牧場の規模も拡大したにもかかわらず、理想と現実の距離が広がり、83歳で自死したという。陸別の人々が寛斎を誇りに思っていることがよく分かった。
9/21(月)曇り 20日目
今日は稚内方面へ出かけた。旭川紋別自動車道を走った。愛別で高速をおり、岩尾内湖に着いた。ここは無料で自動車進入可のキャンプ場がある。4連休のせいか、とても混雑していた。旭川ナンバーのクルマが多い。道外のナンバーも5~6台あった。湖には水上バイクの姿も見られる。釣りをしている人が多かった。私たちは駐車場の角に駐車して、テントは張らなかった。車中泊することにした。キャンプ場の周囲を散策した。夕方になると親子連れが楽しそうに食事をしている。最近はこれが流行しているようだ。私たちはガス代を利用してカレーの夕食をとり、早めにクルマの中に入った。
9/22(火)晴れ 21日目
今日は早めに起床し、稚内へ向かった。美深、名寄、音威子府を経由し、オロロンラインへ向かった。途中天塩川流域に松浦武四郎の碑があった。北加伊道、のちの北海道と命名したという碑だ。天塩川は大きな川だった。ここを武四郎が丸木舟でさかのぼったのかと知り感慨深かった。道の駅「てしお」でほっき貝カレーの昼食をとった。オロロンラインを北上すると利尻富士が見えてきた。風車が沢山立っている。直線道路が果てしなく続いている。やがてサロベツ原生花園ビジターセンターに着いた。湿原の板道を歩いてみた。花は殆どない。次にサロベツ展望台へ寄った。ここからの眺望は釧路湿原細岡展望台に匹敵する。やがて稚内に入り、森林公園キャンプ場に着いた。
9/23(火)晴れ 22日目
キャンプ場で昼食をとり、その後、公園の頂上まで歩いてみた。1km程歩くと頂上に着いた。ここからは稚内の町や港が見渡せた。それからクルマで稚内公園開基百年記念塔へ行った。塔に登ると、利尻島、樺太、宗谷丘陵などが眺望できる。樺太が近いのに驚かされた。下に降り北方記念館で、間宮林蔵や樺太で自殺して亡くなった9名の女性電話交換手の資料を見学した。その後、氷雪の門、防波堤ドームを見学した。道の駅にクルマを駐車させ、稚内の駅に行ってびっくりした。10年前に行った時の駅は様変わりし、近代的なビルの中にあったのだ。その後、宗谷岬へ行き、宗谷丘陵「白い道」を通り、浜頓別温泉「ウィング」に入った。
9/24(水)晴れ 23日目
クッチャロ湖キャンプ場で起床した。湖は美しく、広々していた。オートバイのキャンプ客が多い。湖畔のベンチで朝食にした。帰路はオホーツクの海岸線を走る。左手に見える海は、白波が立っている。北見神威岬公園に寄った。風が強い。波が岩に打ちつける。積丹半島にも劣らない美しい海だった。日高山脈の最北端だそうだ。アイヌの人が尊敬している小山の頂上が尖って見える。そこから南へ走っていくとウスタイベイ千畳岩に着いた。安山岩が畳敷きのように見える。岩に白波が砕けていた。さらに南へ進み、道の駅「マリーランド岡島」に着いた。フェリーの船の形をした建物だ。ここで土産にホワイトチョコとアラレを購入した。次に道の駅「オホーツク紋別」で昼食にした。
9/25(木)曇り 24日目
今日は洗濯をした。旅行中にたまった洗濯物が多い。物干竿に干せきれないぐらいだ。曇っていたので、夕方まで干したが乾かない。奥の部屋にストーブがあるので、竿をここまで運び乾かした。この部屋は広く、普段使わないので、こういう時とても便利だ。
午後町内のAコープで食料を買いに行った。足りない物はセイコーマートで賄った。二人暮らしなので、この2店で大体の物は間に合う。
帰りに図書館に寄った。借りる人の姿はほとんどない。蔵書はあまり多くない。隣の部屋で3~4人の子ども達が勉強をしていた。
9/26(金)雨 25日目
朝から雨が降っている。庭の楓も大分色づいてきた。大雪山の旭岳が初雪が降ったという報道があった。陸別はこれからどんどん寒くなるのだろうか。家に居る時はなるべく運動するようにしている。録画してあるテレビ体操を見ながら、ラジオ体操第一と第二、そして腕立て伏せ、腹筋、スクワットなどを各40回ずつそれからダンベルなどもやる。移住体験するには健康第一だ。
夕方はテレビで大相撲を観た。千葉県柏市出身の隆の勝が勝ち、8勝6敗となった。正代が朝の山に勝ち、おそらく優勝するだろう。夜「男はつらいよ」を観ていたら、奥尻島が場面として出た。ここには行ったことがないので、行きたくなった。
9/27(土)曇り 26日目
午前中寒かったのでストーブをつけた。居間のストーブは大きく強力なので、薄着でも大丈夫だ。用事があったので長男に電話を入れると、流山市の方も少し涼しくなってきたという話だった。
午後は妻と散歩をした。わかばパークゴルフ場まで歩いていくと、一組のご夫妻がプレーをしていた。二人ともライナーショットが上手だった。ティショットの時左足を前に置き、クラブは軽く振っていることが分かった。とても参考になった。ゴルフ場から道の駅へ行った。日曜日なのでりくべつ鉄道の運転体験をしている人がいた。その後、Aコープに寄ったら休みだったのでがっかりした。
9/28(日)晴れ 27日目
先日、関寛斎関係の場所めぐりをした後、図書館で司馬遼太郎の「街道をゆく 北海道の諸道」を借りた。明日には返却しなければならないので、一日読み続け、ようやく読み終えた。
司馬は函館を起点に札幌、旭川、陸別をめぐっている。古代から幕末維新までの長い道のりをたずね歩いている。特に72歳で斗満に渡り、原野を切り開いた関寛斎についての部分は感動的だった。それから劣悪な環境で労働を強いられた囚人や屯田兵、アイヌとの抗争の松前氏など、興味深く読んだ。まだ「胡蝶の夢」を読んでいないので、帰宅したら読もうと思った。
9/29(月)晴れ 28日目
昨日、今日と素晴らしい晴天となった。天気がいいとどこかに出かけたくなる。しかし、明日はもうりくべつを離れなければならない。大雪山の姿見の池に行く予定だったが、今回は残念ながら行けなかった。いつか紅葉の時期に行ってみたい。
午前中は荷物の整理をした。衣服、下着、キャンプ用品、バッテリーなどをクルマの荷台に積んだ。ついでにクルマを洗った。この体験ハウスは、外に水道がついているので有難い。おまけにホースまで揃っている。広い庭で洗車できてよかった。
午後は部屋の掃除をした。「立つ鳥跡を濁さず」押入の中、トイレ、風呂場、玄関など電気掃除機をかけ、水拭きをした。気持ちがすっきりした。
9/30(火)曇り 29日目
29日間の陸別の移住体験が終わり、今日帰宅の途につく。陸別町については、日本一寒い所という程度の認識しかなかったが、実際に生活してみていろいろなことが分かった。気候、文化、歴史の一端を知ることができた。人口は少ないが、住んでいる人達は「わが町」を愛しているように見えた。今年はコロナでできなかったが、いつもは色々な行事、催し物などを楽しんでいる。ゆったりとした生活に満足しているように見えた。貴重な29日間だった。
恩根内体験住宅は、広く清潔で使いやすく、快適に過ごすことができた。町役場の方、移住担当の方には大変お世話になり、感謝しております。どうもありがとうございました。
このページの情報に関するお問い合わせ先
総務課 企画・財政室 電話番号:0156-27-2141内線:215・217FAX:0156-27-2797
総務課 企画・財政室 電話番号:0156-27-2141内線:215・217FAX:0156-27-2797